中国−ラオス〜メコン少数民族紀行〜
 バングラデシュは、インドの北東部ベンガル地方にある。この地方はイスラム教徒の多く住む地域であった。1947年インドがイギリスから独立する際、ヒンズー教徒との対立によって数十万の血が流され、同じくイスラム教徒の多かった西のパンジャブ地方とともにパキスタンとしてインドとは別に独立した。
 しかし、中央政府は西パキスタンにあり、経済格差は日をおって大きくなった(現在でもこの国はとても貧しい)。またパンジャブ地方のウルドゥ語が公用語となることで、ベンガル語を話す東パキスタンは文化的にも差別されることとなった。
 西からの分離・独立運動は、1950年代から激しくなり、中央政府に対する暴動やゼネストを頻発することで、1971年にようやくバングラデシュとして独立したのである。
 その後もゼネストは「ハルタル」とよばれ、バングラデシュにおける正当な政治闘争の手段となっている。
 バングラデシュの気候は、4月から9月にかけての雨期と10月から3月ごろまでの乾季に分けられる。旅をするにはもちろん乾季がベストシーズンである。しかし乾季は政治闘争の激しい、ハルタルの頻発するシーズンでもある。
  私がバングラデシュを訪れたのは2月のこと。旅はハルタルにぶつかり、スケジュールはめためたに変更された。

  今回の旅は、首都ダッカの南、ガンジス河の河口のデルタ地帯をまわった。 バングラデシュは国土の大半が海抜9メートル以下。日本の4割に満たない面積に1億4千万の人々が住んでいる。雨期には河が氾濫し、町が水浸しになることも珍しくないという。

 まず南のはずれ「世界一長い海浜」と呼ばれるコックスバザールへ飛んだ。この港町はミャンマー国境に近く、市街ではモスクにまじって仏教寺院も見かけた。港での遠浅の海でとれる魚の水揚げには土地の子どもも混じりたいそうな賑わいであった。

 このコックスバザールの沖合4キロに浮かぶのがモヘシュカリ島。現在も千人ちかくの住民が住むという。1970年にこの島をサイクロンが襲ったときは、百数十人もの島民が高波に攫われたと聞いて、サイクロンは怖くないかと尋ねてみると、いくところがないのでここに住むより仕方がないとの答えであった。

 コックスバザールからチッタゴンに向かう。チッタゴンは大型貨物船も停泊する大きな港を持つ町である。高いビルもある大きな町だが、いささか趣にかける。
 ここで翌日はゼネスト「ハルタル」だという知らせが入ったので、滞在を一泊で切り上げて、ランガマティに向かう。ゼネストに入るとたとえ自家用車であってもピケに見つかると乱暴されるのだと運転手が怯えていた。そんなハルタルの最中でも動けるのはリキシャだけなのだそうだ。

 ランガマティへの道中、バンダルバンに立ち寄る。目指すのはミャンマー国境近くの少数民族の集落チンプク村だ。この村の住人のほとんどは衣服をつけていない。谷底にあるチンプク村にいくには1500メートルちかく下がらなくてはならない。15分で下った道は、帰るときは1時間半を要した。

 珍しい体験をした後、ランガマティへ。道中、車からは水田に稲を植えつける姿が見える。昔の日本の田植え風景そのものをバングラデシュで見ることに不思議な感慨が湧きあがった。
 ランガマティは、山上にある湖、カプタイ湖のほとりにある避暑地である。カプタイ湖は1963年に造られた人工湖で、湖の奥には少数民族の部落が点在している。

 ここで翌朝からゼネストに入るとのことで、急遽、夜中にチッタゴンまで車を走らせることとなった。戻ってはみたものの博物館もゼネストのため閉館となっており、他に見るところもないので、近くの茶店で土地の人とだべってすごす1日であった。
 ゼネストは翌日も続くとのことで、ストのあける午後5時にダッカに向け出発。500キロを8時間かけてダッカに着く。大変な強行軍となった。翌朝、現地の新聞は、ダッカで起きたデモ隊と警官の衝突で警官1人とデモ隊の3人が死亡したと写真付きで報道していた。

 バングラデシュはイスラム教の国である。我々と旅をしたガイドのファリドゥル・ハク青年も敬虔なイスラム教徒であった。車での移動中であっても、一日に5回ある礼拝の時間になるとぶつぶつとコーランを唱えるのである。 メッカの方向はどうやってわかるのかと問うと、車に乗っているときは車の向かう方向でよいとのことである。食事も肉類は食べず、野菜中心のメニューであった。食べ終わると指で皿をきれいに拭い、その指をぺろぺろと舌できれいになめる。我々からみるときれいになったと思える皿に水を注ぎ、注いだ水を飲み干すのである。
 そんな彼の姿を見て、我々の子どものころも、お茶碗には一粒の御飯粒も残すことが許されず、母親は必ず最後に茶碗にお茶を注いで飲んでいたことを思い出した。

  1970年代の大規模な飢饉のイメージからかバングラデシュには貧しい国という印象が強い。たしかに人々の服装や住まいは貧しいが、豊かな自然や食べ物、そして心豊かに暮らす人々の姿は、我々日本人には不思議な懐かしさを感じさせる国である。

(2001年2月)