バンコックから5時間のフライトで、パロ谷にある空港に到着した。標高約2400メートルもの高さに位置するが、気温が高いせいか、空気の薄さはさほど感じられない。
空港の待合室は、極彩色のグラデュエーションで塗りあげられた神秘的な建物だった。外へ出れば、街並みも、農家さえも極彩色の模様で飾られており、行き交う人々はみな色鮮やかな民族衣装に身を包んでいる。「ああ、ブータンにきたのだ」と実感した。
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ブータンは、ヒマラヤ山脈東部に位置する九州くらいの面積の小国である。人口は公称195万人(98年)ほどだが、実勢ははるかに少ないともいわれており、正確なところはわからない。
「ヒマラヤ最後の仏教王国」と呼ばれるだけあって、いたるところで寺を目にする。ブータンの仏教は「チベット仏教」の系統に属し、密教色が濃い。
人々の信仰心はあつい。寺院はもちろんのこと、村の入り口や山道など、いたるところで、「マニ車」を回しながらお経を唱えている人に出会った。「マニ車」とは、表面に経文の刻まれた筒を水車で回す仕組みで、一回転ごとに「チーン」という澄んだ鉦の音をたてる。筒の中にも経典がつまっており、マニ車を回すことでたくさんのお経を唱えたことになるのだという。
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ブータンでとりわけ印象深かったのは、子どもたち、若者たちの目の輝きであった。
周知のとおり、ブータンは非常に貧しい国だ。一人当たりの国民総生産はわずか390ドルと、じつに日本の百分の一程度しかない。それなのに、子どもたちの表情には貧しさの影など微塵もなく、明るい。道で出会った見知らぬ子らが、すがすがしい笑顔を見せてくれるのだ。
いや、経済的な貧しさが即不幸であるなどと考えるのは、こちらの偏見であろう。ブータンの子どもたちにとって、国のGDPが低いことなど、取るに足らないことにちがいない。山間部の豊かな自然に囲まれ、信仰あつい暮らしを営むネパールの人々は、ある意味で私たちよりはるかに豊かなのだ。
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人々の顔立ちは日本人に近く、四季が鮮やかな気候も日本に似ている。極彩色の街並みや民族衣装はエキゾチックではあるが、同時に、私たち日本人にはどこか懐かしさを感じさせる国でもある。
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