ラダック〜インドの中の秘境〜
 ときおりスコールが激しく大地を打つ雨季のデリー空港を、私を載せた飛行機は飛び立った。ものの1時間も北へ飛ぶと、カラコルム山脈とヒマラヤ山脈が連なる雄渾な景色のなかに、ラダック地方の中心都市レーが見えてきた。
 デリーは牛糞とおわいの匂いと喧騒に満ちた街だったが、レーはまったく趣が異なっていた。青というより群青に近い澄みきった空の下、レー空港は清冽な静けさのなかにたたずんでいた。そこはすでに標高3500mの高地であり、空気は薄い。

 ラダック地方は「インドの中の異境」と呼ばれる。行政的にはインドの一地方だが、地形的にも文化的にも、むしろチベットに近い。
 いや、近いどころか、「チベットよりもチベットらしい」という声もある。なぜなら、現在の中国領チベットでは変質を余儀なくされたチベット仏教文化が、この地方にはまだ手つかずのまま残っているからだ。たとえば、チベットの仏教寺院は文化大革命の時代に破壊しつくされたが、ラダックには、10世紀ごろに建てられた僧院(ゴンパ)や美しい曼陀羅が数多く残っている。
 空港からレー市街までは、見渡す限り大きな石がごろごろしているなかを、ただ一筋舗装された道路を通って30分ほどの道のりであった。
 かつてはシルクロード支線の重要な中継ポイントでもあった、レーの街。陽射しは強烈で、人や物の影は道に焼きつけられたように濃い。光と影の強いコントラスト、街のどこにいても間近に見える山脈のゴツゴツとした岩肌、そして頭上をおおう青空…一歩間違えばただの殺風景だが、なにやら、「荒涼と静寂の美」と呼びたい不思議な魅力をたたえた風景だ。
 高地だけあって、ホテルの2階にのぼるだけでも息切れがする。もっとも、2、3日滞在するうちに空気の薄さには慣れ、高台にある僧院へのぼっても平気になったが…。

 私がラダックに滞在していた間、偶然にも、ダライ・ラマ14世がこの地を巡行されており、私もこの聖者の姿を間近に拝することができた。
 当日、ダライ・ラマが到着した空港付近は、道沿いに何キロにもわたって善男善女が列をなした。観音菩薩の化身ともいわれるダライ・ラマを、合掌して出迎えたのである。
 法要が営まれた場所は、インダス河畔の広大な原っぱであった。列席した僧侶は数百人にものぼり、ラダック中の僧侶が集結したかのようだった。その僧侶たちのうしろには、2、3万人にも及ぶかと思われる群集がつき従い、ダライ・ラマの唱えるお経に唱和していた。その声は周囲を取り巻く山々にこだまし、なんとも荘厳な雰囲気であった。
 私はもちろんチベット仏教の信徒ではないが、それでも、その厳粛な場に居合わせたことを、我が身の幸運と感じた。このような至福の時を持つことも、旅の効用であろうか。