エローラとアジャンター〜インド宗教美術の精華〜
 インドのどこがいいのかと問われても、返答に窮する。一口にインドといっても、土地によってその様相がまったく異なり、魅力も異なるからだ。

 たとえば、デリー旧市街には「俗」の魅力がある。異臭が充満するなかを人が群れ、人力車が走り、牛が悠々と通るさまは、カオス(混沌)という言葉が似つかわしい。

 いっぽう、高地や僻地には、俗世間と隔絶した「聖」の魅力がある。

 たとえば、インド北端のラダックにはチベット文化が色濃く残り、荒涼とした山中のゴンパでは、10世紀からの遺産である曼陀羅、壁画、仏像を見ることができる。また、3000メートルを超える高地においては、澄み切った夜空に星が輝きわたり、この世ならぬ荘厳な雰囲気に包まれる。

 さらに、西のラージャスタン、グジャラートの沙漠地帯では、ラバリ族はカラフルな民族衣装を身にまといながらも、その生活ぶりは簡素の極みである。

――このように、さまざまな民族・部族が混在し、話す言葉も違う。当然、それぞれが信ずる神さえも異なっている。それらの地域・人々を「インド」という国名でひとくくりにし、共通点を見出そうとするのは、どだい無理なのかもしれない。

 だが、子供たちの明るい表情、山羊を追う真剣な眼差し、山中の遠く離れた学校へと通う生き生きとした姿は、私が訪れた土地すべてに見受けられた。

 子供たちのそんな姿は、私のなかで、自分の幼き日々と二重写しとなった。すべてに満ち足りてしまった日本では失われてしまったなにかが、インドにはまだ残っているのではないだろうか。その「なにか」こそが、私にとっての「インドの魅力」ということになるかもしれない。

 今回の旅は、デカン高原にあるエローラ/アジャンター石窟寺院群を訪れることとした。

 まずは、デリーからアグラに向かう。「世界で最も美しい建物」といわれるタージ・マハールがある街である。観光客でにぎわっていたタージ・マハールを後にし、デカン高原の古い市場町アウランガーバードから、車に揺られてエローラへ向かった。

 一路西へ。さとうきびなどの畑がつづくのどかな風景が終わると、岩の丘の波が見えてくる。「地球最古の地層があらわになっている」とされるデカン高原らしい眺めだ。

 やがて、その岩の丘の上に、巨大な寺院がそそり立っているのが見えてくる。エローラ石窟群のなかでもひときわ巨大で美しい、「カイラーサナータ寺院」である。

 車が寺院に近づくにつれ、その巨大さに思わず声をあげたくなった。なにしろ、寺院とはいっても、これはデカンの岩肌から丸ごと彫り出したものなのだ。高さ35m、幅46m、奥行83mに及ぶこの寺院を、千年以上前のインド人たちは、なんとノミとカナヅチだけで作り上げたのである。

 エローラに到着し、カイラーサナータ寺院を間近に眺めると、驚きはさらに増す。巨大であるばかりでなく、一つひとつの彫刻の精巧さ、繊細さが飛びぬけているのだ。この寺院は756年着工。完成までに1世紀以上を要したという。気の遠くなるような偉業である。

 そして、カイラーサナータ寺院は、エローラの石窟群の一つでしかない。全34窟あり、それぞれに巨大な石窟寺院や精巧な彫刻、色鮮やかな壁画が作られているのだ。中国の敦煌に匹敵する人類史上の至宝であり、もちろん「世界遺産」に指定されている。

 なお、石窟群はヒンドゥー教窟が中心だが、仏教窟とジャイナ教窟もある。3つの宗教が共存していることも、エローラ石窟群の大きな特徴である。

 エローラからふたたび車に揺られ、やはりデカン高原にあるもう一つの世界遺産、アジャンターの石窟に向かう。

 馬蹄型のゆるやかなカーブを描くワーグラー川沿いの岩肌に、長さ600mにわたって、計30の石窟がある。これがアジャンターの石窟群だ。もともとは紀元前2世紀ごろ、仏教僧たちが雨季の激しい雨を避けて修行できるようにと石窟を作ったものだという。最初は雨風をしのぐためのただの石窟でしかなかったが、やがてその中が彫刻や壁画で飾られ、敦煌と並ぶ仏教美術の精華として、世に知られることになった。

 エローラの石窟群の素晴らしさが寺院の巨大さ、彫刻の繊細さにあるのに対し、アジャンターは、なにより石窟の中に残された壁画の素晴らしさで、訪れる者を魅了する。

 それらの壁画の多くは仏や菩薩を描いたものだが、色彩が鮮やかなのに、少しもけばけばしさがない。むしろ荘厳で、神聖な静けさに満ちている。とりわけ、第一窟にある「持蓮華菩薩像」の気品あふれる美しさは、目の前に立つと思わず手を合わせたくなったほどだ。我が国の法隆寺金色堂にある壁画は、この菩薩像をモデルにしているという。

 エローラにもアジャンターにも、あわただしい日本とは別種の時間が流れているような気がした。ゆったりとたゆたうような時間が・・・。