ミャンマー(ビルマ)〜異国情緒となつかしさの共存〜
 うだるように蒸し暑いヤンゴンの街に降り立つと、初めて訪れるのに、なにやら「デジャ・ヴ(既視感)」にも似たなつかしさを感じた――。

 「なつかしさ」の理由は、1つではない。道行く人の顔立ちが日本人に近いこと。人々の暮らしぶりが、昔の日本を彷彿とさせるように貧しいこと、そしてもう1つは、ここがあの『ビルマの竪琴』の舞台となった国であること――。そう、私の世代にとっては、ミャンマーよりも「ビルマ」という呼び方のほうがしっくりくる。

 しかし、なつかしさと同時に、濃密な異国情緒も感じる。ヤンゴンの街を歩けば、彼方の丘の上には、黄金色に輝く「シュエダゴォン・パゴダ」が見える。また、市街地の中心には、高さ50メートル近い「スーレー・パゴダ」がそびえたっている。これもまた、まばゆいような黄金色だ。敬虔なる仏教国であるミャンマーの象徴が、そこかしこにあるこうしたパゴダ(仏塔)であり、私たち日本人にとっては強い異国情緒の源だ。

 ヤンゴンの次に私はパガンを訪れたが、ここもやはり仏教遺跡の町であった。主に11世紀ごろに建てられたというパゴダや寺院が、点在している。パガンは約40キロ平方メートルに及ぶ広い範囲を指す「地域名」だが、高い建物などないので、たくさんのパゴダを一望にすることができる。

 古都なので、黄金色に輝く建造物は少ないが、まばゆい白に輝くもの、赤茶け崩れかけたものなど、色や大きさ・形もさまざまなパゴダ群が、その尖塔を青空に突き刺して、廃虚の侘びしさと共に厳粛な迫力で旅人の目を惹きつける。

 パガンを辞して、私たちは次にマンダレーへ向かった。ヤンゴンに次ぐミャンマー第2の都市である。19世紀、イギリスの侵略によって植民地となるまで、ミャンマー最後の王朝があった地でもある。国連に「最貧国」と認定された現在のミャンマーのイメージが強烈なので、昔から貧しい国だったかのように思いこみがちだが、じつはミャンマーは、かつてたいへん豊かな国であった。そのころの名残が、このマンダレーの町には感じられる。市街の中心部には、広大な旧王宮がいまも残っている(現在は軍の施設として利用されている)。

 その旧王宮の東に、「マンダレーヒル」がある。丘の全体が1つの寺院になっている、不思議な場所だ。私はマンダレーヒルの頂上へと登った。そこからの眺望は、まさに絶景であった。旧王宮を中心に、碁盤の目に整備されたマンダレー市街が一望できる。そして、そのあちこちに、美しいパゴダがアクセントをつける。私は、その景色を眺めながら、かつてのマンダレー王朝の栄華に思いを馳せた。これほど栄えた都を有する国が、いまや最貧国・・・「諸行無常」という言葉が頭によぎった。