西ネパール――釈尊生誕の地を旅する〜
 西ネパールとは、ポカラの西にそびえるダウラギリ山系から西の部分のことである。

 ネパールの国土の3分の1を占めるという広大な土地だが、観光地としてはあまり知られていない。それもそのはず、西ネパールを旅するには、ジープで延々と悪路を走り、ホテルならぬテントに泊まるという野性的な生活に耐えねばならないのだ。およそ「観光旅行」という雰囲気ではない。むしろ「秘境の旅」という言葉のほうがしっくりくる。しかし、私はそういう旅が大好きである。

 2月のまだ肌寒い日、羽田から関西空港へ飛び、そこからロイヤルネパール航空でカトマンズへ向かった。ネパールの首都であるこの街でジープと料理人を確保してから、西ネパール700キロの旅に出るのだ。

 ジープに乗って、ルンビニーに向かった。釈尊生誕の地として知られる田園地帯である。

 乾季であることもあって、気候はとてもさわやかだ。目立った観光スポットなど、何もない。生地を示す小さな寺院などが並んでいるのみで、視線をさえぎるような高い建物など皆無だ。なだらかな緑の大地が、はるか彼方まで広がっている。

 巡礼の人々が歩いているが、みな物静かで、騒がしい音などなにもない。鳥のさえずる小さな声までがはっきり聞き取れる。四方を豊かな自然に囲まれてはいるものの、「大自然の厳しさ」というものはなく、何もかもが平穏だ(雨季にはまた印象がちがうのかもしれないが)。

 「ああ、なるほど、ここは釈尊が生まれるにふさわしい地だ」としみじみ感ずる。けばけばしい観光地に食傷した身には、このおだやかさが新鮮で心地よい。

 釈尊は弟子たちに、「人間として生まれることは、爪の上の土よりもまれである」と語ったという。裸足のまま説法の旅をつづけていた一行の足の爪に、わずかに乗った土。インドの広大な大地が生命全体だとしたら、人間に生まれることはその土くらいの確率でしかない「僥倖」だというのだ。ルンビニーの田園風景の中に身を置きながら、釈尊のそんな言葉を、私は思い出していた。

 釈尊が29歳で出家するまで住まわれたという、釈迦族の都カピラバストウのカピラ城址を訪れたあと、インドとの国境沿いを進みながら、ネパール最西端の町・マヘンドラナガールへと向かった。

 舗装されていない悪路を走り、いくつもの河をジープで渡った。カトマンズへ戻るまでは、宿泊はすべてテントだ。

 西ネパール一帯はタルー族が集落を作っており、ときにその集落の一角にテントを張らせてもらうこともあった。タルー族の女性たちは独特の民族衣装で着飾っており、私たちを歓迎して民族舞踊を披露してくれた。

 遠い昔にも旅した錯覚を覚えるような、不思議ななつかしさを感じさせる集落であった。