「世界の屋根」と呼ばれるチベット高原は、南北を山脈に囲まれた標高3000〜4000メートルの高地である。
首都ラサへは、四川省省都のラサから約2時間のフライト。標高3650メートルの高地に位置するラサを訪れる前に、体を高度に順応させるため、やや低いツェタンに一泊することにした。
しかしツェタンも、私にとっては十分「高地」であった。ちょっと身体を動かすだけで、呼吸が苦しくなるのだ。ホテルの3階の部屋まで荷物を運ぶ(エレベーターはない)にも、女性従業員に頼む始末である。部屋までは休み休み階段を上がっていったが、そんな私を尻目に、彼女は軽々と登ってしまうのである。
途中、ヤルツアンポ河を渡ってサムエ寺を訪れたあと、いよいよ、そこから200キロメートル離れたラサへと向かった。
キッチェ河のはるか彼方、マルポリの丘の上にポタラ宮殿が見えてくると、「ああ、ついにチベットにやってきたのだ」という実感が、ひしひしと胸にあふれてきた。何年来、いや何十年来思い焦がれ、何十冊もの本を読んでは憧れをかきたててきた、私にとっては夢の地である。
チベット最大の町・ラサから、カロ峠を越えてギャンツェへ向かった。標高4950メートルの高い峠で、その右手にはさらに高くけわしい山がそびえ立っている。
ラサから約200キロの道のりを踏破し、けわしい峠を越え終わると、そこには一転してなだらかな田園地帯が広がっていた。ギャンツェである。ラサ、シガツェに次ぐ、チベット自治区第三の町。町の中心には小高い丘のような岩山がそそり立っているが、ほかはおおむね平坦だ。
岩山の頂上には、14世紀ごろに建てられたとされるギャンツェ城の跡がある。が、それよりも私の心を強くとらえたのは、ギャンツェの代名詞ともいえる大僧院「パルコル寺(白居寺)」の壮麗な美しさであった。
パルコル寺は15世紀に建てられたもので、チベット仏教各派が集う“総合仏教センター”のような役割を果たしてきたとされる。もともと、ギャンツェはこの僧院の「門前町」として発展してきたのだった。
僧院の白い建物の中心には、澄みきった青空に突き刺さるようなパルコル・チョルテン(万仏塔)がある。これはチベット自治区で最も高い仏塔であり、「ギャンツェの大塔」の別名でも名高い。そして、九層からなる建物のうち、五層までが四面八角、六層以上が円塔という、非常にユニークな形をしている。
六層以上の円塔部分の回廊には、男女が忘我の面持ちで性交している「合体尊」が、絢爛たる色使いでびっしりと描かれている。私たちがもっている「仏教」のイメージを大きくくつがえす、不思議な魅力をたたえた塔である。
とりわけ、青空をバックにしたパルコル・チューデの美しさは、いまも私の脳裏にあざやかだ。「天にいちばん近い町・ギャンツェ」――そんな言葉が浮かんできた。
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