「豊かさ」を追い求めて・・・ 「貧しさ」とは、決して卑下するものでもなければ、人間として劣った状態でもない。 そのことが開発途上国と言われるアジアの国々を訪れるとよく分かる。 人々の住まいは雨露をしのげる程度だし、服装にしても継接ぎだらけだ。 食はと言うと、一皿に盛った一品を皆で分け合うように食べている。 暮らしの中での移動は車などなく、せいぜい家畜に揺られるか徒歩である。 至高の者への供養の為なら、大事な家畜でも潰して供する。 だが決して笑顔を忘れることはない。 人々が生きる証である一瞬の心の動きにカメラを向けるようになって久しい。 そしてどんどんとアジアに惹かれていった。 カメラを向けると照れたような笑顔が返ってくる。だが微塵も媚びてはいない。作り物の笑顔ではないのだ。豊かな自然が彼らを後押しし、ファインダーに写り込む風景は彼らを活き活きと映し出す。 厳しさも顔に表れる。だがそれは闘う顔だ。厳しい自然と暮らしに立ち向かう顔。真剣だから自然も普段はおだやかに彼らを見守る。その様をフィルムに焼き付けてきた。 ふとアジアの子どもたちに、自分自身の幼かった時代が重なることがある。 戦争を挟んだ前後の時代、日本の子どもたちも確かに彼らと同じ目をしていた気がする。同じように貧しかったが、同じように目の奥は輝いていた。その瞳に希望が宿っていた。 翻って今の日本を思う。 語る言葉を失うほど人々の心は荒廃している。喜怒哀楽も計算され作られている。暮らし振りは豊かだが、心は貧しい。自然にも、至高の者にも見放されていると感じるのは間違いだろうか? 「豊かさ」とはなんだろう? アジアを旅し始めて15年程たった。 その答えを永遠に留めたくて夢中でシャッターを切ってきた。 気がつけば膨大な写真の山・・・ 到底、作品と言えるような代物ではないが、ファインダーを覗いた折のえも言われぬ安らぎを共有したくてここに公開させていただく。 少しでも心を癒していただければ幸いである。 |
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